まだ日も昇っていなかったと思う気持ち良く寝ていた私は突然叩き起こされる。不機嫌に不満を漏らす私を祖母と母は宥め、いつの間にか私は車に乗っていた。向かった先はとある駅。一体何なんだと私は祖母に不満を漏らし続けたが祖母は「とにかく待っていなさい」と言うばかりだった。寒く、暗い駅のホーム。貨物列車が数本通過しただろうか。しばらくして遠くから光が近づいてきた。また貨物列車だろうと思ったものの、妙に遅い。しばらくしてその光は目の前に止まり、青とクリームの機関車に牽かれた青い客車が目に入った。「乗りたいと言っていたろう？その願いを聞いて、お父さんには切符を買ってもらい、お母さんにはここまで送ってもらったそして私が○○を乗せてやるんだ。乗りたい乗りたいと言っていた、ブルートレインにね」
遠い昔、16年前の再現…
祖母75歳、私19歳。「ようやってくれた…嬉しくて言葉が出ない…ありがとう…」東京駅で発車を待つ祖母は涙を流しながら私に告げた。ホームにはたくさんの人だかりができ、一斉にフラッシュを焚いていた。明るい発車メロディーが鳴っているが、もはやレクイエムに近かっただろう。外から空気の抜けるような音がし、ドアが閉まる。汽笛が鳴り重たい音がする。寝台特急はそろそろとホームを離れ、九州を目指し走り出した。遠い昔の再現、私が駄々をこねた果てに祖母はブルートレインに乗せてくれた。ならば私は大人になったら機関士になって、祖母には私の乗務する列車に乗ってほしい、と。いつしか思うようになった。
「信じられるか婆さん。かつて婆さんが必至こいて買った切符が、はやぶさが無くなるっていうんだ」「嘘かと思ったよ。九州に行くのに、駅には人だかりができて、何時間も夜通し行列して、やっとの思いで売ってもらえた切符だこの列車はいつも満員だった。九州へ帰る人、行く人で溢れていた」
だが現実は厳しかった。背が伸びるにつれて、夜行列車は役目を終えたかのように次々と消えていった。両親の新婚旅行列車あさかぜ、家族で乗ったさくら…。みずほ…彗星…あかつき…なは…生き残れたのは瀬戸と出雲だけだった。かつて機関車で賑わった東京機関区も再開発の流れでかつての栄光も見る影が無い状態であった。家族に恩返しがしたかったのに。両親にはあさかぜを、家族にはさくらに乗ってほしかった。追い討ちをかけるかのように、私が入社する1か月前、日本海・北斗星は減便、なは・あかつきは無くなり、あの銀河さえも廃止になってしまった。そしてはやぶさも余命1年を通告されていた。入社しても運転士になるためには早くても5年はかかる。機関車の訓練なら更に1年以上。もう私の夢はかなわなくなってしまった。
『おばあちゃん！ぼくおおきくなったらブルートレインのうんてんしゅさんになる！だからうんてんしゅさんになれたらのってね！』
眠気や不満が吹き飛んだように無邪気に喜ぶ幼い私の笑み。あの頃の夢が叶う事は無かった…。
「どんどん夢が、恩返しの規模が小さくなってしまった。本当なら機関士になるはずだったのに、間に合わなかった。この列車も終点まで乗りたかったけどさ。熊本までの切符代と日数を確保できなかった」「いいよいいよ。こうして乗せてくれたことだけで嬉しいよ。この切符は棺桶まで持っていくからね」「縁起でもないこと言うなよ。婆さんにはもっと長生きしてもらわないとさ。弟の面倒だって見てもらいたいし、俺の曾孫の顔も見せたいしさ」「そうだねえ。まだ頑張んなきゃいけないね」
祖母はまだ泣いていた。
『えー！？もうおりるの？』『こんなに遅れちゃ東京からの電車に間に合わないからね』『しゅうてんまでいきたい！』『よしよし。東京はからは踊り子だからね』
入社して約1年、金は貯まった。ただ列車が持たなかった。入社地点で余命1年、実質残時間1年の戦力外通告。運転士になるには入社して最短5年、機関士なら更に1年。1年間では車掌にもなれやしない。そして私は車掌、そして運転士、機関士への夢も半ば断たれている。
「終点までは乗れないからな。眠くなってくるとこで降りなきゃならないのはつらいけど…」「まぁいいさ。こうして乗せてくれただけでも充分嬉しいんだから」「今度はもっといいのに乗せてやるからな。弟の卒業旅行に、家族みんなで上野発札幌行きの、すごいやつにさ」「その列車まで無くなったりは…」「その時は謝るよ。大丈夫だとは願いたいけど、その時には車掌くらいにはなっていたいな」「頑張りなさい。私も○○（弟の名前）の面倒、ちゃんと見るから、それまでは逝きやしないからね」
深夜23時、列車を降りる。深夜だというのにホームには数人のカメラマンが待ち構えていた。大勢のフラッシュに見送られ、はやぶさ号は夜の闇へ呑まれていった。そしていずれは時代の流れに呑まれてしまうその列車。いよいよ東京発九州行夜行列車は終焉を迎える。その日まであと…5日。
『ぼくのしょうらいのゆめは、ブルートレインのうんてんしゅさんになることです』
「私の将来の希望は、機関士になり、夜行列車や工事列車の運転に従事することです」